今日も明日も明後日も

アラサーになった者の声を残します

君のため、遠回しに僕のため。

こんにちは、つぁんです。

 

遅くなりましたがご報告。

社会保険労務士試験、終わりました。

 

自己採点したところ残念ながら合格には到達していませんでした。

正式に結果が出るのは11月ですが、ぼちぼち社会復帰に動き出そうかと考えています。

 

興味本位で行きたくもないIT企業の説明会に顔を出して見たり、「面接の結果は1週間後に連絡」と言われた会社に2週間待たされて落とされたりしています。

 

カレンダーは無情に流れ、スマホゲーのスコアばかりが伸びる日々です。

 

 

ところで、最近思うところがあります。

 

人のためって何だろう という命題です

 

こんな生活をしていると周りの人から心配やら同情の声をかけてもらう機会があります。

僕のことを想って言ってくれているのでしょうが、人によっては棘を感じたり、腹の立つ言い回しで伝えてくる人がいます。

 

基本的には僕は「自分のことを一番考えているのは本人なのだから周りがとやかく言うことではない。」という考えの人間です。

ですが、その一人一人の思慮深さも考慮するべきなんだろうと最近考えるようになりました。

 

Aさんに対して「俺のことを一番考えてるのは俺なんだからお前は黙ってろ」と思うことがある一方で、Bさんに「あの人なら今の俺にどんな意見をくれるだろう」と思う場面もあります。

 

AさんとBさんの違いは何なのだろう、その差が 思慮深さ ではないかと思います。

 

人のためを想って声をかけること自体は素晴らしいことでしょう。

ですが、問題は内容。

具体的な案を相手に提示するのであれば、自分の考えに相手が及んでいるかどうか、そこを考えた上で提案すべきです。

 

そこまで考えて提案するのが面倒と感じるのであれば、その程度の相手なのでしょう。何も伝える必要はありません。ただ見守っていれば良いでしょう。

 

下手に動かずゆっくり考えろ、とりあえず地元に戻れ、まずはバイトしろ。

 

様々な意見をいただき、非常にありがたいと思う反面、頭の中でモヤモヤしたものを感じたのでここに書き殴っておきます。

 

傲慢な文章ですが、僕のブログなので、まぁ、お許しいただければと思います。